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お盆だったので、愛犬に。

2012年08月17日 17:20

Photo 12-08-17 14 33 29

昨日のことです。
ペットに対してのお盆ってどうなんだ?という感じですが、もう既に当たり前の人にとっては当たり前でしょうか。
こんな時くらいにしか実家に戻ってじっくり思い出してあげる機会もないので、故・柴犬の"レオ"のために花を買って来てあげました。

本当は前日にツユクサを供えてあげていたんですが、すぐにしおれてしまって、何だかそれだけだと可哀想だったので。
花言葉は合っているんですけれどね、ツユクサ。

以下は、思い出話です。

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禁忌の場所

2011年11月01日 09:44

インターネット・アーカイブは、禁忌の場所。
もう一度言います、禁忌の場所。
そこには、思い出したくない思い出が、たくさん、詰まっています。



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9月24日、伊澄の誕生日です。

2008年09月24日 01:47

※しばらく更新していませんでしたが、再開です。
まぁこの再開を機に、ここも変えようと思います。
アクセスは一切気にせず、全くの自由なスペースにするので、カウンターは除けました。
ハヤテ感想は、まぁ、期待している人がいるかどうかは分かりませんが、再開します。
「好きな時に書く」という感覚ですが、毎週になるかもしれませんし、ならないかもしれません。
ただし、トラックバックを送る数は前より少なくなるかもしれませんので、ご了承ください(前から少ないかもしれませんが)。

さて。今日は、伊澄の誕生日……。一番大切な人の誕生日です。

と言っても、何か目立ったことをできる訳でもないし、この場所自体……。
人を集めて目立つことができる人は、つまりアクセスが多い人ですし。

……なので、「当たり前過ぎて目立たないことだけれども、一番大切なこと」をします。
誰でもできる、簡単なこと。
人が集まる訳でもないし、特別おもしろくもありません。

それは……
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「歌」って何だろう?

2008年08月04日 01:27

 最近、「歌」というもの自体について、多く考えるようになっています。

 「魂を籠めて歌う」

 それは、歌う上で一番大事なことです。
どんなに歌の才能があっても、魂が籠っていなければ、ただの耳触りのよい「声」です。
 最近の音楽は、まあ、その「魂」の量が少ないというか、大事な「歌詞」を作詞者に頼り過ぎて、ミュージシャン自身が思い描く「思想世界」が、未熟なものになっているような気がするんですね。
もちろん、現代のアーティスト全員を一概に否定する・・・という訳ではありませんが。

 話を戻しましょう。先程、歌う上で一番大事なことは「魂」と言いました。
しかし、「魂」だけで行くとどうなるか?という事を、先日、俺は実践してみました。
・・・もちろん、「意図的に単なる実験をした」のではなく、「結果的にそうなった」のですがね。
・・・そしてそれは、魂を込めて一生懸命歌った、「俺の歌」を人前で見せる、ということです。
いい反応は返ってきませんでした。ええ、くだらない主張をする人間がたくさんいましたね・・・。 反論だってもちろんしたいですが、しませんでした。いえ、できない、と言うのでしょうか。

 俺は、「魂を籠めて」歌いました。全力です。自分の背負っている、、「大切な親友との別れへの悲しさ」、「冷たい社会の大人たちに対する怒り」、「優しい人達との出逢いへの喜び」、「愛への希望」、「真実を求め続ける意志」・・・あらゆる感情をぶつけて、歌いました。
ありったけの感情をぶつけて歌っている瞬間とは、本当に、「歌」の素晴らしさを痛感し、言葉以前に生まれた歴史を感じました。

 しかし・・・。反応は冷たく、ニヤニヤ嘲笑う人がほとんどでした。
ここでは公開できないような酷い言葉も多々あり、人によっては、こんなこと言われたらもう二度と歌えなくなるだろうと思うほどでした。
そこで、思ったんです。

 「歌で一番大切なのは、魂じゃなかったのか?」

 ―――と。
その疑念が、今までずっと、俺の脳内を巡り巡っていました。

 しかし。気づいたんです。
それは、尾崎豊のライヴ収録アルバム、「約束の日」のVol.2にある、「誕生」を聴いていて、気づいたのでした。
 このアルバムは、本当に、「特別」過ぎて、今の自分では聴くに足りないと思い、余程の事がない限り聴かない・・・いえ、と言うより、凄過ぎて、素晴らし過ぎて、聴けない・・・それほど、とてつもないアルバムなのです。
しかし、俺は最近、互いに涙を流し合いながら友情を認め合った、生きる喜びのように大切な、大切な、本当に大切な親友を失くし、この前まで、まるで自分を見失ったかのように、迷い、苦しみ、狂い、もがいていました。
それでも、先日まで、その苦しみから「歌うこと」によって解放され、今までのすべてを受け止められる・・・そう、生きる希望を明確に信じていました。
・・・しかし、その情熱と愛は踏み躙られ、「どん底」以外の何物でもない状態に陥っており、このアルバムを聴くしかないのでした。

 そして、その「誕生」を聴いた時、尾崎の情熱を感じた時、俺の胸には、確かな「新しい鼓動」が、漲ってきました。
その鼓動・・・。
その鼓動は、頭の中に渦巻き心に突き刺さっていた「疑念」を、打ち払うように輝き出したのです。
出てきた「答」は、「魂」を否定はしませんでした。
傷ついた心を、優しく、包んでくれたのです。
それは、甘ったるい「逃れ」だとかいう、一時だけの安らぎではありません。
「進むべき道」を、力強く指し示し、そっと、優しく背中を押してくれたんです。

 『「魂」には、「頑なな強い気持ち」だけでなく、「努力によって創り上げた技術」も入っている。』

 ―――ということ。
努力とは、結果に出るまでは、ずっとそばで努力を見守ってくれている人以外に誰にも理解されません。
水面下では、評価されない。
・・・それが、厳しい現実です。
しかし、だからこそ、「努力を結果に出す」すなわち、「歌に劇的な成果を出す」ということが、「魂」でもあるのだ、と。
そう。「魂」や「努力」は「積み上げられた技術」でもあるのです。

 『「理解される」ためには、「気持ち」だけでなく、「魂」というものすべてを十分に漲らせる・・・それだけの努力が必要だ。』

 ・・・そういうことが、伝わってきたんです。
今までは「歌」を「気持ち」だけに絞り、感情を出すことのみを求めていました。
しかしそれだけではなく、「上手く歌えるように努力すること」を本格的に目指し、これからは、そんな「次」を求め、ピッチ安定や声域拡大に毎日欠かさず、努力を重ねること。
そう。それも魂だ、と。

 ただ、自分は間違ってはいない。
「気持ちを籠めて歌う事」を信じ、日々、それができるようになるために全力で歌い、そして「その事」を、「実感できるライン」までたどり着けたのだから。
だからこれは、「一からやり直す」ではなく、今までの「気持ち」を踏まえ、「次へ進む」ということ。

大切なのは、「上手くなりたい」という、強い意志、努力、願い。
強く自分を信じ、立ち向かうこと。

だから・・・。
「大人になる」と言い訳をしながら夢を捨てることは、間違っている。
いつまでも、夢を捨ててはいけない。

そう、信じる事。

立ち向かう事。

人知れず、陰で涙を流す事。

辛さ、苦しさを噛み締め、心から味わう事。

それでも、諦めない事。


それが、生きる事。


・・・そう、尾崎が必死で言ってんだから・・・しょうがないでしょう!?

俺は負けません。
大好きな歌がある限り。



 「どんな困難にも、負けないで・・・いつまでも夢を捨てないで・・・君達へ、僕からの、精一杯の、愛情を、籠めて。いつまでも・・・歌い続ける事を約束します。」
                               ―――――尾崎豊・約束の日Vol.2より





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