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お盆だったので、愛犬に。

2012年08月17日 17:20

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昨日のことです。
ペットに対してのお盆ってどうなんだ?という感じですが、もう既に当たり前の人にとっては当たり前でしょうか。
こんな時くらいにしか実家に戻ってじっくり思い出してあげる機会もないので、故・柴犬の"レオ"のために花を買って来てあげました。

本当は前日にツユクサを供えてあげていたんですが、すぐにしおれてしまって、何だかそれだけだと可哀想だったので。
花言葉は合っているんですけれどね、ツユクサ。

以下は、思い出話です。







レオは、自分が物心付いた時から一緒にいた、初めてのペットでした。

今思えば、豆柴だったのかもしれませんね。
子犬のようにちっちゃくて、丸くて、コロコロしてて、人懐っこくて。
いつもニコニコ笑ってる、ホントに、本当に、可愛い子でした。
保健所から引き取った犬です。
何の罪も無い、こんなにいい子が、殺処分で殺される寸前だったのです。
けれど、無責任な飼い主が「飼いきれない」(という虐待の最低の言い訳)の理由で犬を捨てたりするのは、今も変わっていないですね・・・。



当時のレオの写真があれば良かったのですが、何故か写真が見つかりません。
今のように当たり前に「カメラ」機能が携帯に付いていなかった頃だからでしょうか。
それならカメラで写真を撮っておけば良かった、と悔やまれますが、アルバムを漁ってみてもどれも旅行先や運動会などしかありませんでした。(祖母の家の方にあるかもしれませんが・・・。)
こう書いていて思ったのですが、考えてみれば、普段の生活の「当たり前」をわざわざ写真に撮ろうなんてなかなか思いませんよね。
旅行以外に実生活で"家族"に突然カメラを向ける機会など、そうそうありません。
当時、「レオがいる」のは「当然のこと」だったんですね。

実を言うとレオは祖母の家で飼っていたのですが、その頃自分は母親を差し置いてまで祖母に懐く相当な「おばあちゃんっ子」なのでした。
ですので、小さい頃は毎日のように祖母と会っていました。
(そうなった経緯は家庭の事情など諸々あるのですが、プライベートな上に長い話になるので割愛します)
という訳で、自ずとレオとは「自宅で飼っているペット」という枠組みと比べても遜色ない関係で、その上「一緒に遊んでくれる」自分に一番懐いていました。



しかし、そのうち小学校高学年になったことも含め色々あって、
祖母の家に行く回数は以前ほど多くではなくなり始めました。
だからといって少ない訳ではありません。他の普通の子供よりも、ずっと多かったと思います。
でも、それはやはり「減った」ことには変わりない事実でした。
そうなると自ずと、レオに会う回数も減っていきました。

ちょうどその時期になるとレオも老犬になり、
また老犬というのはどんなに元気に見えても急に弱るもので、
心臓の病気で突然具合を崩したのを境に、足元もおぼつかなく目に見えて死期が分かるようになりました。
それでも、祖母の家を訪れたときには弱々しくもピョコピョコ跳ねて小躍りしてくれました。

しかしあろうことか、当時の自分は「死」ということを十分に分かっていませんでした。


そして遂に、いつもと変わらない態度で普通に過ごしていたある日、例の知らせを受けます。
その時も自分は実感できなくて、本当に二度と会えなくなるものだとは思ってもいませんでした。
今タイムマシンがあれば、小屋のそばで寝泊まりしてでも最期までずっと一緒にいてあげるのに。

一番悔やまれることが、レオは最期の日の前日、実家の方角を向いて、消え入りそうな声でずっと鳴いていたそうです。
ペットの話でよく聞くのですが、犬は最期に「一番大好きだった人」に会いたがるそうですね。
自分の最期を、一番大好きだった人に、看取って欲しかったんだと思います。
その話を聞いた時、自分は生まれて初めて、哀しみの涙が溢れ出て止まらなくなりました。

レオが必死に吠えていた時、自分は、何をしていたのか。
なんにも、何にも、してあげられなかった。
なんでもっとそばに居てあげられなかったんだろう。
取り返しのつかないことを、してしまった。

そんな後悔ばかりで、レオに合わせる顔がありませんでした。

だから今でも、動物が死ぬ感動モノだけは、耐え切れません。
自分は元々は「感動映画」なんて類でゼッタイ泣かないタイプでしたが、
何があっても、これだけは泣いてしまうと思います。





"レオ"





何でもない会話でその言葉を口にしただけでも、今も涙が自然と湧き出てきます。
思うのは後悔ばかりだけれど、でも、それでもやっぱり、それ以上に、大好きだったな・・・というのが、
今の気持ちです。


今となっては、レオの小屋があった場所は荒れ放題の物置になっています。
(本当に荒れ放題なので、後から載せる写真を見ても怒らないでください。)
本当は、いなくなってからも暫く犬小屋は置いたままでしたが、
祖母もその場所を見る度にレオのことを思い出して哀しくなってしまうので、撤去したそうです。
許容量をオーバーした時、思い出してしまう物を捨ててしまうのは自分も同じですね。
(うまく説明できませんが、乱雑に他の物で埋めてしまう感覚も自分には分かります)

でもやっぱり懐かしい空気がそこにあって。
変わり果てた今でも自分はその場所が好きです。
お盆に地元に帰ってきてそこを見ると、レオがいるような気がするんです。
クサイ台詞かもしれませんが、今にもレオの鳴き声が聞こえてきそうな気がするんです。
何年経っても、鳴き声は鮮明に覚えていますから。
近頃、祖母の家ではレオのことばかりが頭に浮かんで、ずっと上の空の状態でした。

何故ここまでなっているかというと、去年ペットのいない東京に一人移り住んでから、本当にペットの有り難み、大切さを痛感したからです。

今生きている「シロ」は、以前以上に可愛がってあげることでそれで済むのですが。。。
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思い出せば思い出すほど、どうしても耐え切れなくなって、レオのためにお花を買って来ました。
どんな花を選んだらいいかは、よくわからなかったけれど。(見るからに仏壇用って花はちょっと違う気がするので。。。)
普段思い出すのは辛いから、お盆の時くらいは、じっくりこうしてあげておきたかったんです。

ちなみに、その前日にあげたツユクサの花言葉は、

"懐かしい関係"

です。

後から知ったけれど悪い意味もあります、それは"心変わり"です。("恋"には入らないけれど)
どうか、今生きているシロばかりを可愛がっていること、許してください。
それだけは、本当に申し訳ない。。。


レオは懐かしい旧友でもあり、家族でもあり、命の大切さを教えてくれた人生の恩師でもありました。


写真を撮るような気分では決して無かったけれど、今度こそはちゃんとカタチに残しておきたいので、
そして思い出あるこのブログに残しておきたいので、写真を撮って載せます。

皆さんのペットも、時には思い出して供養してあげてください。
今飼っているペットの具合が悪くなれば、やり過ぎなレベルでいいから、後悔しないように、しっかり看病してあげてください。
そして一番大切なこと。そばに居てあげてください。



ありがとう、レオ。

ずーっと ずっと だいすきだよ



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